揺らぐ波の上で

ずっとずっと信じてきたものが変わるということは、とても恐ろしいことだ。それはアイデンティティを失うことに近く、自分とは何なのかという自己への疑念をも生み出してしまう。

今年の夏、6年半交際し5年半同棲をしていた彼氏に振られた。それ以降、自分の世界が変わってしまった。

いつ結婚するんだろうとかずっと囚われていた悩みや抑えていた感情から解き放たれ自由となり、何となく清々しい気持ちもあったけれども、自分を許せない気持ちから逃れることが出来なかった。

これが理由なんてものはあるけれどなくて、ただ振られた側である為に自分が悪いのかという罪の意識に苛まれたりしていた。

幸いにも友人や家族に恵まれたこと、そして今年から始めたロードバイクが私を支えてくれたように思う。

その宣告からすぐに熊本の実家に帰り、阿蘇を走った。それは7月中旬で、真夏の熊本というのは本当に暑くて地獄に近い。実家から出発して田んぼの中を抜けて、阿蘇に向かう道に行くはずだったが最初から怠くてしょうがない。でも行くしかなかった。目の前に見える激坂を上りきれず、歩き始めた。途中からおかしいと気づき、道を完全に間違えだことを知ったが、時はすでに遅く、猛暑の中車も殆ど通らない斜度20%に近い道をロードバイクを押して歩いた。途中から意識が朦朧として、あまり記憶がない。次に見える影まで、影までとそれだけを頼りに歩いた。見える地面も段々と白んで来たように感じた。結果としては、途中で見つけた道を曲がると下り坂になっており、本来の道に戻れたわけだが、目的地まではたどり着かず、翌日にリベンジした。

その日の出来事が自分の中で大きく、あの日私は一度死んだように思っている。あのよく分からない道に過去の自分を置いてきたような感覚だ。

その後、家を引き払う様子を見ることもなく、空が広い埼玉へ引っ越し、悠々と暮らし始めた。

そして、今の季節は冬。新居も埼玉も気に入っているし、色々な巡り合わせがあり、新たに恋人が出来て幸せに暮らしている。

過去に決別し、すっきりとした気持ちで生きているように見えるだろう。でも、ふとした時にいろんな事を考えしまう。

今年の夏までは、ずっとずっとこの人とは絶対にずっと一緒にいるんだという根拠のない自信があって、それを信じて、それを頼りに生きてきていた。それが愛だと思っていた。

それがなくなって、愛とは何なのだろうと究極の課題にぶち当たってしまい、分からなくなった。本当は存在しないのかもしれないとすら思った。

運命みたいなものがあって、絶対的な愛が存在しているのだと思っていたものだから、そんなものはないと知らされて、知っている世界がなくなって、世界の全てが知らないものに変わってしまった。そうしたら、世界はとても恐ろしいもののように見えて、よく皆こんな場所で平気な顔をして生きているなと思った。それが平気ではないのは自分だけであって、とても孤独のように感じた。

6年半ずっとその人が心に寄り添っていた。一緒にいない時間もずっと。1人の時でも頭の中に彼はいて、何かを伝えたくなったり、私の考えに影響したりした。その人はもういない。

それでも、ふとした時に楽しかった旅行のことや日常のことを思い出してしまう。そのことの整理が難しい。

今はもう別の人と付き合っていることについて、切り替えが早いとよく言われるけれども、実際は何の整理も出来ていないのだ。

思い出してしまうことは決して罪ではない。そのはずなのに、以前は思い出すと幸せになっていた思い出を思い出すと、もう幸せになってはいけない、なれないことについて寂しいように思う。ただ6年半のことを肯定的に考えようとすると、別れたことに否定的になってしまう気がする。まだ良い思い出だったけど、別れて良かったわねといった風にはなれない。とても複雑で感情の表現がうまく出来ないけれども、6年半を無意味にして思い出さないようにしていないと自分が保てないような気がする一方で、何をしていても思い出す要素がありすぎてしまう。思い出すことは罪ではないのに、思い出した時の気持ちがどういうものであるべきなのか未だに整理がつかない。

6年半の私が感じていた感情が、その時の自分が、今となっては空虚であり、無価値であるような絶望感と喪失感がある。6年半の私は居なくなり死んでしまった。

それでも私は、今の自分があるのは、過去の積み重ねであるという哲学を持っている為、無かったことにするとその哲学を否定することになり、それは出来ない。

そういった自分の中の矛盾が矛盾を呼び、混乱してならない。

でもきっと時間が解決するようなものだと理解しているし、恋人と別れた人達が感じるような混乱であるのだろうと推測する。

未練などない。これは私という人間のアイデンティティの欠如への憂いや不安である。この混乱は未だ続いているけれども、世界に対する愛の回答として、今の私はこう考える。

きっと皆不安定な中生きている。

夏までの私は、世界の皆は地面の上でしっかりと生きていると思っていた。私はこの不安定なメンタルがあるから、その地面の上にボールがあってその上で玉乗りしていて、それを彼が上手いこと支えてくれているように思っていた。

でも、きっとそもそも地面などはなく、皆揺らぐ波の上で生きているのだ。上手く波乗りしている人や潜って泳いでいる人もいれば、溺れている人もいる。私は今はよたよたしながら、なんとか不安定な波の上の世界で立っている。そういう風な状況だ。

歌の中で 君を探してる

波の中で 笑いながら漂う

今の中で 君を愛してる

刻む一拍の中の永遠を

刻む一粒の永遠を

これは星野源のPop Virusの歌詞で、とてもしっくりと私の中に入ってきた。

愛は絶対的なものではない。移ろい、儚く、いつ消えてもおかしくない、分からない何かだ。

だからこそ、”今”の中で愛していることが、とても美しく大切で価値があると思う。今があるからといって、それが永遠だとは限らない。でも、今がなければ永遠はない。

一瞬一瞬、毎日がとても素敵で貴重なのだと思う。それを忘れたくない。ずっと覚えていたい。

揺らぐ波の上で。

Published by

ohanachann

http://ohanachann.strikingly.com/

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